末吉町!
首里北部に位置し、大名と古島に挟まれた町。もとは西原間切の村で、その後字となって
大正9年首里区に編入されて大正末期に町となりました!
水源(カー)が豊富な村ではあったが、川には橋がなかったことで交通の便が悪く不便な
町でもあった!大正5年に末吉石橋が架かり、儀保町へ通ずる道路ができ他地域との往来が出来るようになり町は発展しました!
末吉公園は自然豊かな市民の憩いの場所となっています!
ホタルの観察も出来ます!
↑ 末吉ノロ殿内御神屋!北拝み!
以前は、遍照寺から約150メートル西の道の分岐点付近にあったが、今は沖縄銀行末吉支店の交差点を末吉公園向けに入ると、右に曲がって琉球新報末吉販売店の近くに末吉ノロ殿内御神屋が移されている。
ノロ殿内の玉城家は今も村人の住居の一番上段の北側にあるが、直系の嗣子が不在で近親の者が管理している。従って敷地には神屋だけが戦後はあって、近親の玉城氏がきて毎日開け閉めしているので参拝は自由。神屋は南向きの八畳間ほどで、ここに神仏が安置されている。
戦前の神屋も、位牌とその火の神以外は同様で、ちがうのは半間の床ブチが前記のミサマと向かい合ってあった。この床の間に五月のウマチーには、唐船の絵、六月には稲穂の絵の軸物をかけたという。(新城カマド氏談)
↑ ノロ殿内の神棚!
↑ 左→辺土野主(ヘドゥヌーシジ)!辺戸天孫子の子が末吉の地に下って成長なさった方!
奴留大神(ヌルウシジン)!当家のノロ職を授かった先祖!
天帝神(ティンテーシ)!中山とのクサイという!ウマチーに扇子(長い尾の鳥の絵)
一本を飾る!
↑ カーグヮービラ!
↑ 坂の途中にある拝所!
御先龍宮神!中軸龍宮!沖繩龍宮四鎮!
↑ カーグゥワービラ!
上からの眺めはいい感じです!でもね!キッイ!足が笑うほど!ビックり!途中イヌが左側から吠えますので注意して下さい!
↑ イリヌカー!(末吉大樋川) 北拝み!
町の西側にあることからイリヌカーという!
現在も生活用水の一部として使用されている!
ウマーチの御願の時は(東の井戸、西の井戸、中の井戸)
に参拝する!
↑ ナカヌカー!(中の泉) 北拝み!
東西の両樋川の間にあるのでナーカヌカーという!
↑ アガリヌカー!(東ヌ樋川) 北拝み!
町の東側にあることからアガリヌカーという!
水量が豊で現在でも水が湧きでている!
↑ イリヌハルガー 北東拝み!
農用地(畑)に囲まれた場所にあることからハルガーという!
貯水量は豊富で周辺農地への利用されてる!
↑ 左側!沖繩そば屋!しむじゅう!があります!
↑ しむじゅう!入り口!
↑ アガリヌカーの左側にある拝所カニマン!
以前より増えました?
↑ 埋蔵文化財発掘調査を行っています!祝女殿内跡か〜な?
↑ 宜野湾御殿墓!参詣道!
↑ 宜野湾御殿の墓!北拝み!
宜野湾御殿の墓!具志頭御殿(尚貞王の子尚綱)から宜野湾御殿(尚泰王の子尚寅)に譲渡されたものと言われている!
規模が大きく、内郭と外郭に分かれ二重の石垣で囲われている等!沖縄独特の亀甲墓の初期を代表するものである!約4000坪の広い墓域には、墓守屋敷跡や石畳道が残っており王府時代の典型的な王子墓である!
↑ ヘドウカー!(辺土御井戸)!北東拝み!
辺戸への遥拝所で現在井戸は涸れている!
昔は辺戸まで行けなかったため、辺戸御井戸
がお通し場だった!
↑ ウブウカー!(産御井戸)!
末吉の前ヌ毛周辺に住んでいた、7世帯の住民
が当時使っていたといわれる井戸跡!
↑ ヤハンメーウタキ!(荒神と夜半参り御嶽)!北拝み!
荒神は、末吉の火の神を祀っているとも言われまたは、遍照寺を守護する地神として巨岩を御神体とする荒神が祀られているとも言われている!
首里では末吉の荒神を夜半参り御嶽と呼んでいたとも言われ、荒神の別名称が夜半参り御嶽なのか、それとも別に夜半参り御嶽があったのかはっきりしていない!
ヤハンメーウタキ(夜半参御嶽)と言われた末社荒神の神体は岩像で以前は手前に「賓頭盧」が安置されていたが現在はない!
女性が深夜にイリガンを添えて祈れば恋が叶うと言われ、地元や首里の上流士女がヤハンメーしたという!(末吉宮パンフレットより)
↑ 拝所!末吉町と書かれた香台が公園内には
数えきれなほどある!
↑ 福祿寿役場!
↑ 子ぬ方御先龍宮神!
↑ 末吉宮参詣道 左側!
↑ 末吉宮参詣道!
↑ キッイ参詣道!
末吉宮へ安全なルートの入り口!
↑ けもの道が整備されていますね!危険な
参詣道より安全なルート
↑ 末吉宮!
末吉宮は琉球八社の一つで、俗に「社壇」「首里社壇」などと呼ばれ尚泰久王の時代(1456年頃)天界寺鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請し祀ったと伝えられている!お宮は、本殿・拝殿・祭場からなり拝殿は明治の末に倒失したが、これらを結ぶ独特の磴道(石造階段)全体と本殿は戦前旧国宝に指定されていた!また、末吉宮の周りには末社をはじめイベと呼ばれる聖なる所が多く点在し、この地が古くから信仰の対象として崇められ、また一大聖地を形成して大切にされてきた様子が偲ばれる!国家守護!聖躬万才!国泰民安!五穀豊穣の神として国家的に祈請された!身近には学業成就の神、技芸成就の神として尊崇された!子方の神(事始の神)として、末社神は縁結び子孫繁昌のご利益神として信仰された!(末吉宮パンフレットより)
↑ 末吉宮後方にあり、東方の字天軸みるく御水につながる水神!
↑ ニーヌファヌカー(子の方御水)!北拝み!
部落の子方(北方)岩の下から湧き出る水を利用したもの!
子方の拝所となっている!
↑ 末吉宮アーチ橋から北の大名町!入り口への参詣道!
↑ 末吉宮北口!大名町馬場跡!
↑ 大名町!北からの子の方入り口!
↑ 字天火ぬ神!御先神!北拝み!
↑ 黄金軸!
↑ 東遥拝所!
↑ チャギウタキ(樫木之嶽!神名イシラゴノ御イベ)!北拝み!
末吉の氏神様が祀られており!ウマチーに参拝するという!
↑ ウガン小!
↑ 遥拝所 南!
↑ 遥拝所 北!
↑ 羽地御殿墓!参詣道!
↑ 御待所跡か〜!
↑ 右側の!
↑ 末吉森の中に一軒の、宮里朝高先生の家!
↑ 宮里家裏にあり!羽地御殿の墓! 北拝み!
羽地朝秀は、尚質王の従兄弟にあたる人物で後に成功して王子の位をもらった!
1652年に羽地間切の惣地頭職となって家督を相続し家督相続する直前(1650年)に中山世鑑という琉球史を著して人々の鑑とした!
↑ 平良町へ〜は?
↑ カメムシ!
絶対に素手では触らないでね!クサイ!
次は豊見城でも!再探索して来ますかね!
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