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執筆者の写真びんじゅる

鬢頭虜と行く首里の坂道


↑ いろは坂

↑ 金城町石畳道入り口

1957年(昭和32)年、旧首里市が、旧真和志村、小禄村、とともに県都・那覇市に合併したときも地名の那覇市首里◯◯として温存されました。

1・金城  2・崎山  3・赤田 

4・鳥堀  5・    6・久場川 

7・赤平  8・当蔵  9・池端  

10・大中 11・真和志 

12・寒川 13・山川 14・桃原 15・儀保

16・石嶺 17・平良 18・大名 19・末吉

住所の表記は、王朝古来の首里の地名と町名併記されるのです。「首里振興会より引用」

↑ 金城町石畳道

↑ 石畳中間地点


           ↑ 金城町村屋敷

           ↑ 仲之川!爾覇川跡(ニーハーガー)左!への道筋!

           ↑ 赤マルソウ通り右!への道筋!

↑ 赤マルソウ通りからの入り口

           ↑ 真珠道(まだまみち)入り口・真珠道は

           尚真王が軍事用の道路を首里城から真玉湊

          (那覇港)、豊見城及び真玉橋までの道を

           建築しました。


↑ 全国道百選にも選ばれています!

           

           ↑ 坂道の中程にあるカフェ!石畳茶屋!

           ↑ 島添道


↑ 島添坂(シマシービラ)付近一帯を島添と言われていた事から坂の名称になったと言われています!

↑ 金城村学校所跡は1835年に創立!村学校は士族「しぞく」子弟の教育機関で首里・那覇などの各村にも建てられしました。七〜八歳で入学、元服する十四〜十五歳まで、「三字経」

の読み書きから「論語」「孟子」などの四書を学んだとされています。

1879年の沖縄県設置後に学校は廃止されました。



↑ 知念坂(チニンビラ)

金城二丁目バス停から爾覇川跡までの道筋となっています!

急坂道ですね!整備される以前はもっと傾斜のキッイ坂だったようです!

夏場は避けたい急坂!

首里は19町もありますので!

ぶらり!ぶらり!とまいりま〜す!


次は崎山町の坂を探索!








          ↑ 首里金城町の史跡・拝所・井戸・坂道の地図

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