兼城の拝所!史跡!
↑ 南風原町兼城!内嶺城址への坂道!
↑ 内嶺城址跡
内嶺城は内嶺一族が1380年頃!ここ兼城発祥地にグスクを築いたとされる!
(神名)カニマンのイベ!(古瑶)兼城クエナ!(考古遺跡)グスク遺物がさ
れている。兼城城の別名でもあり按司は尚巴志から鉄魂を受けて鍛治を打ち
鍛治の打ち嶺(ウチンミー)鉄具を作って農を興したとされ、その功をたた
えてクエナに「聞え兼城、豊む兼城・・・拾承の御殿、国の人あっめて呑で
ん滅ならん・・・」とあるグスクと民の繁栄を寿いだと伝えられいる。
↑ 合祀拝所 左→!西ヌ殿!中ヌ殿!里主殿!前ヌ殿!野原門!
↑ 慰霊塔!大東亜戦争戦没者!
↑ 兼城野呂火之神 !
↑ ヌバンジョーウカー!
↑ ヌールウカー 火之神!
↑ ヤナギウカー!
↑ 広場!
↑ 下へ!
↑ 第二広場!
↑ 下への階段!右へ!
↑ 眞南風之嶽!
内嶺グスクの入り口でしたが!人々はグスクに入ることが出来ませんでした!それで!
ガジュマルの根元で拝むことにしました!
↑ ガジュマルの根元が拝所!
↑ 獅子は不明!東の守り!
↑ 字兼城の石獅子は村の守護神!西の守り!
上間村へのケーシー(返し)目的で置かれたと伝られている!
↑ 兼城公民館!
↑ 門中ガジュマル横拝所!
↑ 下原門中神屋(ヌンドゥンチ)!
↑ 下原門中 北拝み!
↑ 新御井戸(ミーウカー)北拝み!
↑ イチニガー(お産井戸) 北拝み!
↑ 東井跡 東拝み!
↑ 松井ー跡(マチガー) 北西拝み!
小学校建築のため埋められました!
↑ ポンブガー跡 北拝み!
↑ メントゥヌカー!
↑ シーマシガー跡 南拝み!
↑ 西平井戸 東拝み!
↑ 黄金森 !
↑ 印部石!王府時代に測量の目印として使われてた石で、は!あ!などの(ひらがな)が
書かれている!
↑ 松井ー跡(マチガー) 北西拝み!
小学校建築のため埋められました!
↑ 慰霊祈和之塔!
↑ 森の中には!内嶺グスクの按司墓があります!
按司!
グスク時代の12世紀頃から琉球諸島各地に現れた!グスク(城)を拠点とする地方豪族の首長やその家族などの称号として使われた。元来、琉球には王号や王子号がなくその代わりに按司の称号が用いられていました。
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