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執筆者の写真びんじゅる

鬢頭虜の糸満市大里の拝所巡り

更新日:2020年11月5日



南山城跡


南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に

栄たグスクです。南山は名国と交易を盛んに行い、財源を得たり、名文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝項回数は22回を数えます。

1984年、発掘調査が市教育委会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉など

が出土しています。これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14〜15世紀前半が特に栄えいたことが分かりました。南山の東方には水量豊富な(嘉手川・カデシガー)北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森」があります。 「糸満市教育委員会掲示板より引用。」


南山神社の鳥居

左右端には拝所があり、祀れている神は❓火ヌ神(ヒヌカン)ですかね!

南山神社

神社の背後にある墳墓                          


           墳墓横にある拝所  

           御井戸跡

南山城主跡から旧大里村の拝所巡り


嘉手志川(カデシガー)

中山王尚巴志は、金屏風と嘉手志川を交換しょうと持ちかけると、南山他魯毎(たるみ)は屏風と交換してしまいます。

嘉手志川を手に入れた尚巴志は、水を勝手に勝手に使ってはならぬと御触れ出した。

水を使う事の出来ない南山の人々は困り果てていました。南山を滅ぼす機会を伺っていた尚巴志は、我に味方する者には水を自由にしても良いと告げました。

人々の恨みをかった南山他魯毎(たるみ)は、尚巴志の大軍に攻め込まれて滅ぼされ尚巴志は三山統一を成し遂げる。


嘉手志川の右横にある拝所方角東!

道路沿にある遥拝所方角北東! 



うぴー川(チョンチョンガー)↑水滴がチョンチョンと落ちている事が名前の由来でしょうかね!(方角東)

←ユピガー (方角東)↓


越来神屋 (方角東)


西銘ヌル神屋 (方角東)

神元神屋 カミムートゥは初代の位牌が祀られている本家!(方角東)


ソウジ栄徳神屋 (方角北)

山川野呂殿内 ヌンドゥンチは村落の最高祭祀である祝女の火神が祀られている。方角東!

ユン門神屋 (方角東)

大里公民館です。

旧大里村の拝所巡りは終わりとなりますが!まだ10時かい!意外に早く終わってしまった!

真栄里までぶらり、ぶらり、歩いて行きます!

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